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diary with petit photos from the atelier
Olive 大人のオリーブ アニャン

GINZAの付録として『Olive(おとなのオリーブ)』が限定復刊との情報で、久々に『Olive』のこと、そこからうまれた幾つかの不思議な大切なご縁について、思い返した。


自分の仕事は『Olive』に始まったと言っても過言ではない。

東京に暮らしていた学生時代は、カフェブームやピチカートファイブに小沢健二さんを代表とする渋谷系音楽の時代。
ファッションだけではなく、音楽、映画、文学から、雑貨、アンティーク、秋の夜長の過ごし方...、文化的で、私的な時間を育むための情報まで得られる雑誌といえば『Olive』をおいて他にはなかった。


自分の作品を最初に発表したのは、富士五湖のCAFE Mだったけど、その存在を知ったのも、『Olive』の「カフェグランプリ」という特集だった。

CAFE Mでの初個展は、オーナーの招きでマガジンハウスの編集者Kさんにも見ていただけることとなり、ほどなく『an an』や『Olive』で自身初のイラストのお仕事もいただくことになる。

イラストを描き始めた目標のひとつは「いつかOliveで仕事を」であったのだけど、いきなりその目標が叶ってしまったのである。

『Olive』はその仕事から間も無く休刊してしまったので、「願えば叶う」こともあるとはいえ、あまりにも出来すぎたビギナーズラックであったと思う。


そして幸運は続く。


マガジンハウスの編集部を訪問した際に偶然居合わせたのが、『Olive』の世界観を支えていたスタイリストの大森瑛せ劼気鵑如運良くポートフォリオを見ていただけたのがきっかけで、大森瑛せ劼気鵑縫好織ぅ螢鵐阿琉様蠅里△辰臣緤雑誌『KIMONO姫』(他社ながら編集長のTさんもまた、Oliveチルドレンのひとり)でもイラストの仕事をさせていただくこととなった。

時はアンティーク着物ブーム。

この『KIMONO姫』で名前を載せていただいていたことも決め手となり、それから京都の呉服メーカーでデザイナーとしての仕事もいただくことになった。

もともと竹久夢二や中原淳一のように、イラストも生地図案も描く先人に憧れていて、「テキスタイルのデザインをすること」も当初の目標のひとつだったのであるが、この目標もするすると叶ってしまったのである。しかも、中学の修学旅行以来「いつか」と思っていた「京都で仕事をすること」も同時に。

「hamabeno-waltz」というブランド名で発表したコレクションは、今度はデザインアイテムとして『KIMONO姫』の巻頭に掲載していただくこととなる。

しかもスタイリングは大森瑛せ劼気鵝▲皀妊襪聾汽團船ートファイブの野宮真貴さんである。仕事を始める前は『Olive』の内側にいた、憧れの二人である。


そしてもう一人、Olive的な世界観をテキスタイルで具現していた人といえば、minä perhonenのデザイナー皆川明さん。

皆川さんにも『KIMONO姫』のイラストで名前を覚えて頂いたり、大学時代の友人Aちゃんが偶然にもパリでminä関係のお仕事をしていたことで、実際何度か白金のアトリエショップでお会いし、お話をさせていただくこともできた。
(ちなみに、このAちゃんというのは、学生時代に『Olive』の魅力を熱っぽく教えてくれたり、Olive的なアイテムのスクラップを作って定期的に郵便で送ってくれたりと、その世界観を叩き込んでくれた、ちょっとしたOlive教祖でもあった。)


自分がフリーランスとして今のテキスタイルデザインとイラストの仕事を始めることが出来、そして今日(いやはや14年目)まで続けてくることが出来たのは、もちろん他にも実にたくさんの方のご厚意や支えがあったのではあるけれど、『Olive』のページをめくるかのごとく願いの扉が次々と開けていったあの頃をなくして語ることはできない。

今思い返しても、何か見えざる導きを得ていたとしか思えないような、大変に幸運な時期であった。


Olive the Wonderland


まるでウサギ穴に落ちたように、『Olive』の世界に過ごしていた頃のお話である。



【追記】宮森隆行さんのこと ......................

「おとなのオリーブ」誌面で組まれていた「魔法の指がつくりあげた、『オリーヴ』のヘアとメイク。」というコーナーでは、『Olive』の誌面でヘア/メイクを手がけていた宮森隆行さんの、当時のお仕事が紹介されています(コーナーの文章を書かれているのは、自身最初のイラストのお仕事を導いてくれたKさん)。

90年代当時のビジュアルながら、時を経た今見ても、まったく色褪せていない、流行を超えたバランス、美の感性が映し出されていることに驚かされます。

そして、その宮森さんが2013年に50代半ばにして他界されていたとの情報に(訃報を知らず...)驚きました。

遅ればせながら、心よりご冥福をお祈り申し上げます。



宮森さんには2002年の『KIMONO姫』創刊時、巻頭ページ撮影の現場でお会いしました。

撮影は、モデルに高橋マリ子さん、スタイリングは大森瑛せ劼気鵝▲悒▲瓮ぅには宮森隆行さんという『Olive』のヴィジュアルを創った黄金コンビ。そのビジュアルに自分がイラストを加えるという、今思えば駆け出しの若輩者にはかなり大それたお仕事でした。

撮影の合間にお話しした宮森さんは、初対面の自分にもとてもソフトに接してくださる方で、お会いできたのも結局その一度きりとなったのですが、

「良い仕事を長く続けていく秘訣はなんですか?」と尋ねたところ、

「うーん、あんまり余計なことに手を出さないことかな。」
「いろいろと手を出しちゃう人もいるけど、自分の場合はヘアメイクしかしてこなかったから...。」

と返していただいた言葉(細部は正確ではないかもしれません...)は、不思議とずっと心に残っています。


イラストとテキスタイルデザインという仕事をしているので、色々な種類のお話はいただくのですが、これまで、少し自分のやるべきではない事にまで手を出してしまったり、目先や流行の風に流されてしまったりと、気がつけば余計な脇道に逸れてしまうことも多々ありました。

そんな時に戒めのようによく思い返したのが宮森さんの言葉で「これは自分にとって本当に必要なことだろうか、将来につながることだろうか」と自問するきっかけを与えてくれていました。


改めて宮森さんがされてきた個々のヘア/メイクのお仕事を見ても、流行りの何かを付け足したり盛ったりするするのではなく、モデルの個性や秘められた雰囲気を「引き出す」ことに長けていた宮森さんの「魔法の指」だからこそ成し得た仕業であることがわかります。

「はやりものは、いつか劣化してしまう。本当によいものは、時間を超える」

とは、特集内に書かれていた宮森さんの言葉。

奇遇にも宮森さんに個人的にいただいた言葉と重なります。

対象に向き合い、必要なものと不必要(余計)なものを正確に取捨し、本当に大事なものだけを丁寧に引き立たせること。

それこそが、宮森さんにとってのヘア/メイクという仕事であり、色褪せることなく、時を超えていく仕事の秘訣だったのだと思います。


サン=テグジュペリ(『星の王子さま』)ではないけど、やはり本当に大切なことは目に見えないし、それは、辛抱強く向き合える人の心でしか見ることはできないのだと、宮森さんの言葉と足跡(指跡)をたどり、今また強く感じるのでした。



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